糸が雁字搦めの一歩を踏み出す時、誰もハサミを持ってはいなかった。

いっそのこと、目茶苦茶に切ってしまえば良かったのだ。








































「―――――――――――――――ぇ」

「つまり星夜は俺の傍から離れらんねぇ、そこに付け込んで闇影に仕立て上げた」

『うわっ、そういう言い方ありですかぁ?仕立て上げたなんて』

「本当のことだろうが。存在したけりゃ俺に逆らうな」

『逆らってるわけじゃありませんが少しくらい言葉を考えてもらいたいものですよ、全く』





頭の中で、グロテスクな色をした何かの液体が大釜で煮込まれ始めた。



心臓がやけに早さを増して頭の中を巡りに巡り、苦しくなる。

目の前にいる二人は、あたかも今まで通りの様子。

けれど、私は普通で居られるわけがない。

衝撃告白なんてレベルじゃない。



「な、っんで、どうして、酷が闇影してるなんて…」

『ふざけんじゃねぇよてめぇぇええ!!』



まともに出て来ない私の声の変わりに、絶叫を上げたのは酷だった。

先ほど腕が弾け飛んだときよりも、翼が消し飛んだときよりも、遙かに重いものがのしかかっている。

ぎらついた瞳が星夜さんを射抜いたが、彼は涼しい顔でそれを受ける。





『酷のくせに、酷のくせに闇影だとッ!?何でだ、闇影なんざ―――全部、消えちまえば良いのに…!!』





そう叩きつけた後、すぐに彼は蹲った。

力が入ったため全身にそれが感染してしまったのだろう、痛みが走っているはずだ。

だが酷自身、そういう状態に陥ることは分かっているはず。

それでも尚発言したということは、よほどの憎悪が生まれたと見える。

呻き声は何とか噛み殺しつつ、それでも星夜さんへの視線を逸らすことはなかった。





『だから言ったでしょう?僕は彼女の念で出来てる、彼女に従わないと存在してられないんですよ』

『関係、ねぇ』





惚けるように肩を竦めた星夜だったが、酷の声に眉を顰めた。

その表情変化を読み取ったのは私だけだろうか、酷は全く気付く様子もない。

星夜さんの全身から微かに漂い始めた念、黒々しいというか何というか。

声も出せなくなる、酷はそれでも気付いていない。





『てめぇが何で出来たかなんて関係ありゃしねぇ、殺してぇと思わねぇのかよッ!!』

『それはまた愚問ですね』





あっ、まずい。



肌を駆け抜けた悪寒に、私はか細く悲鳴を上げた。

誰にも聞こえはしない、かくいう私にもその声は聞こえない。

耳と頭に鳴り響く警報音に遮られ、悲鳴を上げたという判断しか出来なかった。

星夜さんの念が膨れ上がっている、彼の隣にいる沙羅さんは平然と立っているのだが。



どこかで、彼の言葉を聞いてはいけない気がした。















『思ってるに、決まってるじゃないですかぁ』















耳を、塞げば良かった。



もう手遅れだ、私は確実にその内容を脳内に焼き付けてしまう。

眼球の奥から足の爪まで締め上げられるような感覚に、吐き気。

星夜さんのオーラだけの問題でもなくなった、何もかもがおかしすぎる。



―――そうだ、おかしい、おかしいだろ?そう思うのは私だけか?おかしいはずだ、おかしい、おかしいおかしいおかしい。



彼の発言の意味が分からない、解りたくない、わかろうとするな、ワカラナクて、良い。

【殺したい、誰が、誰を、殺したい?】

止めろ、思考を止めろ、考えるな、考えるな、言い聞かせろ。



『はっ!?なら何で―――』

『彼女相手に上手く行くと思います?そう簡単に』



そういう、ことではない。

上手く行くとか行かないとか、違うだろ。

どうして無感情にそう言える、感情がなくて良いのか、その想いに対して。

淡々とした喋り方が出来るということは、その事柄にあまり興味がないということか。

けれど念は禍々しい、彼の態度と空気が矛盾している。



『本当に、油断がないんですよねぇ』

「ふん、誰が隙なんざ与えるかよ馬ー鹿」

『ほら、だから殺せないんですよ僕』

「な、なに、何、言って――――」



やっと、口を開く。


掠れ掠れでも、どうにか発言する。

何か言わなければ、止めなければならない彼らの会話を。

これ以上続けさせてはいけない、駄目なんだ、止めてくれ。





「さっきから、何を」

「理解能力低いぞ」





きっぱり言われて、――それでもショックも何もない。

理解能力が低い方が良かった、分からなくて良かった、理解しなくて良かった――のに。










「星夜は常に、俺を殺したがってるって言ってんだよ」










どうして、殺害対象であるはずの彼女が、そう言ってのける

まるで呼吸をすることと同じとでも言うように、当たり前で当然で自然で普通であるかのように、言う。

それが意味することは、冗談でも何でもないということだ。

沙羅さんは本気で言っている、本気で星夜さんが己を殺したいことを、認識している。

認識している上で、二人は並んで立っている。



「まぁ、そういう【契約】だったからな」

『僕が【いつでも沙羅さんを殺して良い変わりに、それまで闇影をしろ。】…でしたっけ?』

「前者は永遠に叶わねぇから、必然的に後者のモンしか残らないがな」



どんな契約だ、どんな、そんな契約が成立していいのか。

どうしてこの二人は、その状況で当たり前のように並んで立っている。

互いにいつ、殺し殺されても良いというのか。



「ど―っ、して、だって、おかしい、そんなの」

「てめぇにとっておかしいだろうが何だろうが、俺達には関係ねぇんでな」

『僕達の価値観と自分の価値観が同じだと思わないでもらいたい、僕達はこれで上手くやってるんですから』



あっさり、切り捨てられる。

確かに彼らの価値観と私の価値観は違うだろう。

けれど、だからこそ主張するのだ。

私が彼らと違う人間であるからこそ、主張する。










だが、嫌という程私はまた、知っている。










彼らにたとえ、どれだけ想いをぶつけた所で無意味なことくらい。

まだ出会って一ヶ月ほどしか経っていないが、―――それで充分。

彼らの性格は良く分かっているつもりだった。

これ以上、何かを言っても、おそらくきっと彼らは変わらない。





















「本題から逸れた、戻すぞ」










あまりにも呆気なく、重い念が消滅。



そうか、今、気が付いた。

あれは星夜さんの念だけではない、―――沙羅さんの念も上乗せされていたのだ。

二つの巨大な念が、反発もせず混じり合いもせず、存在していたのだ。

よくもまぁ私が耐えられたもの。

だが、解放感は決して良いものではない、全身がだるい。

無意識にかなりの負荷がかかっていたようで、強ばっていた筋肉が一気に緩んだものだから、逆に気持ち悪い。

そしていきなり話を戻されても頭が追いつかない。

キリキリと未だに心臓を締め上げられているような気分で、けれど彼女の話を聞かないわけにはいかない。

納得なんて一切出来ていない状況だったが、それでも私はどうにかして集中。





「つーわけで、てめぇらの見本は星夜…っていうよりも俺と星夜みてぇなもんだってこったな」





そう言えば、どういう話だったかすら忘れかけていた。

記憶の糸を辿り私は、なぜ酷が無茶苦茶になったのか、と聞かれていたことを思い出す。

ふと酷の方へ視線を向けてみたが、…先ほどよりも体が消えているような気がする。

本人も本人で星夜さんへ向けて怒鳴ったものだから、それが影響していることは分かっていそうだ。

苦しさやら痛さやら憎しみやら何やら、ごった煮状態の表情を浮かべている。

一番、苦しみが強いだろうか。



「………おい気が付けよ、まだ分かんねぇのかぁ?」

「―――――――――へ?」



間抜けな声が零れてしまった。

ポカンと口を開けて、呆れている顔をした沙羅さんと目を合わせた。

何が気付かないという、特に何かに気が付くべき要素があっただろうか?

おそらく、そういう感情を丸出しにした表情を私がしたに違いない、長い長い溜息を彼女は吐き出した。

そのまま隣にいる星夜さんにバトンを渡し、一歩下がる。

彼女がそういう行動に出ることを予期していたのだろうか、彼は相変わらずの笑みで続けた。





『空、あなたなんですよ』





日本語が通じない。



目的語もはっきりとした動詞もろくになかった。

それだけの言葉で理解出来るはずもなく、思わず顔を顰める。

その反応すら彼の予想の範囲内だったようだ。

今まで見てきた微笑みのどれとも違う、ひたすら意地の悪さしか際だっていない笑みを、彼は浮かべた。

一瞬背筋に悪寒が走ったが、先ほどの重き念の時とはまた違う。

けれど思うことは同じだった。





やはり、彼の言葉の続きを、聞いてはいけない気が―――――――――。



































『彼を創ったの、あなたなんですよ』



































――二人分の静寂と二人分の絶叫が響き渡るのに、そう時間はかからなかった――――――――。